第四話 継がれし想い
「ほら、いつまで寝ているんだい!」 朝の五時、梅乃は大声で起こされた。
「ふえ……?」 寝ぼけ眼で梅乃が目を覚ますと、妓女の大部屋が騒がしい。
“キョロキョロ……” 大部屋を見ると、全員が起きていた。
「起きた?」 小夜が梅乃の横に、チョコンと座る。
「なんで、こんなに早いの?」
「知らないの?」 小夜が驚いたように言った。
「江戸町二丁目の近藤屋が店を閉めるんだって!」 小夜は焦ったかのように話す。
ここ吉原には五つの町が存在する。
そこは大門(おおもん)から、突き当りの水道(すいど)尻(じり)までの約二百三十メートル真っすぐな道を仲(なか)の町(ちょう)という大通りがある。
その仲の町の両脇には、引手茶屋が多数ある
そして、東西に分けられた町がある。
東側には、伏見町、江戸町二丁目、角(すみ)町、京町二丁目
西側には、江戸町一丁目、揚屋(あげや)町、京町一丁目 がある。
その中でも、江戸町は大見世が軒(のき)を連ねていた。
「へー 近藤屋がね……」 梅乃には、まだピンと来ていなかった。
同じ江戸町で、大見世だった近藤屋が閉めてしまうことの重大さに気づくのは、まだ先のことであった。
その噂は三原屋でも独占していた。
普段なら色恋や、たまに来る舞台役者の話しでもちきりなのだが、今回は近藤屋の話しでいっぱいだった。
それは、近藤屋が閉鎖することにより三原屋も妓女を引き取るからだ。
ある程度、大見世である三原屋だが定員はある。
良い妓女が来れば、売上の悪い妓女は去らねばならない。
それは、他の中見世や小見世に行かなければならないということであり、
年季が明けるまでは避けたい事態である。
このピリつい空気に、梅乃と小夜も察してきた。
「お前たち、禿は良いよな……時代が被らなくて……」 妓女の一人が言う。
しかし、いつの時代にも大変な時期はある。
梅乃たちでさえ保証はないだろう。
そんな中、やはり近藤屋の妓女が三原屋にやってきた。
「よろしゅう、お頼み申しんす……」
近藤屋からは、四人の妓女を引きとった。
「おや? 貴女は此処の禿だったの?」 近藤屋から来た、一人の妓女が梅乃に話しかける。
この妓女は、花緒と言う。
「はい。 ご存知だったのですか?」 梅乃は驚いたように話す。
「えぇ、いつも桜の木の下で泣いていたでしょ」 花緒はクスクスと笑った。
(ちょっと恥ずかしいな……それに、そんなに泣いてたかな?)
梅乃は、頬を赤くした。
新しく妓女が入った事により三原屋は活気づくかと思ったが、不況の波は激しかった。
そして、客が少なくなり暇になると始まるのがイジメだ…
「おい、小夜……髪結い、早くしな」 妓女は、段々と禿にまで言い方がキツくなる。
事が上手くいかない場合は、
「お前たち禿が役に立たないからだ! しっかり働け!」 などと暴言を浴びせる毎日になっていった。
そんな梅乃と小夜の心の支えになっていたのが、約束の
“ニギニギ ” である。
つらい時、苦しい時にはお互いに “ニギニギ ” を見せ合っていた。
そんな行動を玉芳は、いつも見ていた。
ある時、玉芳が梅乃に聞いてきた。
「あのニギニギするポーズは何だい?」
その言葉に梅乃は驚いていた。
(見てたんだ……変な事して、マズかったかな……)
「変な意味じゃないよ。 ただ、二人がニギニギした後に二人が笑顔になるから気になってたのさ……」
(ホッ……怒られるかと思った) 梅乃は息を落とした。
「これは、前に叩かれたり蹴られたりした毎日の時でした……仲の町の桜の木の下で、小夜と手を繋ぎながら誓ったんです。 「絶対に花魁になろう」って……その手を握った時の真似なのです」
梅乃は恥ずかしそうに説明した。
「いい話しじゃないか! 私も仲間に入れてくれないか?」
「花魁……だって、花魁じゃ、約束も何も……」
「あはは……そうだな。 じゃ、もう少し高みに行けるようにじゃダメかい?」
玉芳は笑いながら話した。
「はい。 一緒に行きましょう……まだ、桜は残ってますしね」
梅乃は笑顔で応えた。
そして、昼見世が終わった頃
「梅乃、小夜、行くよ」 玉芳は二人を誘い、仲の町の桜の木まで来た。
そして、真ん中に玉芳が入り、三人で手を繋いだ。
「みんな良くなれ……辛くても、苦しくても頑張ろう」 玉芳は言葉にして、左右の禿は頷いた。
そして、何度も手を握ったのである。
約束をした後、吉原の茶屋で団子を食べた三人は会話を楽しんだ。
これは玉芳の母性なのかもしれない。 禿の二人と話しているのが楽しくなっていた。
「しかし、化粧を落とすと花魁ってバレないものですね……」
小夜の一言で、玉芳は茶を吹き出す。
「小夜……」 玉芳は呆れた顔で、小夜を見た。
「すみません……」 小夜が謝ると、玉芳は母のような目をして笑顔になっていた。
「今日の約束ね……私も仲間に入れて貰って元気になったよ」
そう言った玉芳は、少し寂し気な顔をした。
「どうしたのですか?」 梅乃が聞くと
「私も、もうすぐ三十になる……いつまでも花魁なんか出来ないだろうし、いつ三原屋を出されるか分からないしさ……だから、お前たちの元気が欲しくなったのさ」 玉芳の言葉に、二人が黙った。
「花魁……コレですよ」 梅乃は手を前に出し、ニギニギを始めた。
「そうだね」 玉芳も、手を前に出してニギニギをした。
「戻ろう」 玉芳は、梅乃と小夜を連れて妓楼に戻った。
妓楼に戻った梅乃と小夜は、妓女の身の回りの世話を始める。
「何やってんだい!」 こんな言葉も毎度である。
それでも禿の二人は、ニギニギをしながら支え合っていた。
玉芳を交え、三人で誓い合った約束を果たす為に。
そして数日が過ぎ、昼見世の時刻。
花緒が梅乃に声を掛ける。
「梅乃、ちょっと……」 花緒が梅乃に手招きをする。
小走りで梅乃は近づいた。
「どうされました?」 梅乃が言うと
「今日の酒席、小夜と二人で手伝ってくれないか?」
「はい。 早い時間であれば問題なく……」 梅乃は答えた。
梅乃と小夜は、まだ十歳である。 夜、遅い時間は働くことは禁じられている。
これは、店主の文衛門が決めていることだ。
文衛門は仕事には厳しいが、実際には優しい旦那なのだ。
梅乃が夜の仕事に入る時は文衛門に話さなければならない。
小夜も同様だが、二人の父親でもあるからだ。
「では、旦那様にも話してきます」 梅乃は立ち上がり、采の所に向かった。
采に話すと、文衛門がやってきた。
「お前は働き者だね……しっかり勉強をしておいで」 文衛門は、梅乃の頭を撫でて話した。
「姐さん、許可を貰いました。 勉強をさせてもらいます」
小夜も横に立ち、梅乃は元気よく話していた。
夕刻、 「梅乃、小夜、こっちへ……」 玉芳が二人を手招きする。
「花魁、いかがされました?」 梅乃が聞くと、
「コレを使いなさい」 玉芳が二人に差し出したのは白粉(おしろい)と口紅であった。
そして、玉芳自らが二人に化粧をしてあげた。
「こういう風にやって……」 と、化粧の勉強を教えていたのだ。
そして、十分が過ぎた頃
「これでよし! しっかり稼いでくるんだよ♪」 この玉芳の言葉は、妓女として最初の頃、采に掛けられた言葉だった。
この想いは、受け継がれていくものだと玉芳は思っていた。
そして、三人でニギニギをして梅乃と小夜は、花緒の元に向かった。
「なんだい? 随分とお洒落をしたじゃないか?」 采が二人を見て驚いていた。
「はい♪ 花魁に化粧をして頂きました」 梅乃は、胸を張って答えた。
「そうか、しっかり勉強してくるんだよ」 采は笑顔で言った。
(いつも怒った顔をしているのに、笑顔だ……) 梅乃と小夜は、軽く恐怖を覚えた。
そして夜見世が始まった。
花魁と同じように、引手茶屋まで客を迎えに行く。
しかし、花緒は花魁ではないので派手な道中をすることは無かったが、それでも禿を率いての迎えは噂になるものである。
「ありがとう♪ 少し目立ったわ♪」 花緒は笑顔だった。
(花緒姐さん、玉芳花魁とは格が違うけど優しいな……)
梅乃と小夜は、子供ながらも人を見ていた。
着飾った梅乃と小夜は、酒宴にも参加をしていた。
特に接待はないが、雰囲気や会話の勉強である。 新造の身分であれば、今後の事を考えると客を取られかねない。 堂々と吸収できる期間は禿の期間だけであった。
そして夜の八時頃、花緒の合図で梅乃と小夜は、礼をして酒宴を去った。
『バシャ バシャ……』 化粧を落としていた梅乃に玉芳が話しかけてきた。
「どうだった?」
「はい。 勉強になりました」 梅乃が答えた時、
「はい。 コレ……」 玉芳は、梅乃と小夜に櫛(くし)をプレゼントした。
「えっ? よろしいのですか?」 小夜は驚き、両手で櫛を抱えた。
「いっぱい あるから……」 そう言って、玉芳は二階へ戻っていった。
その櫛は、梅の柄が入った物は梅乃へ。
節目の入った櫛が小夜へと渡された。
「大事にします♪」 そんな無邪気な少女は、さらに励むようになっていった。
後日、菖蒲と勝来に櫛を貰った事を話した。
「……」 菖蒲と勝来は黙ってしまった。
「姐さん?」 梅乃はキョトンとしていた。
「その櫛、大事にしなさい。 そして、大きくなったら同じ事をしてあげなさいね……」 勝来は言った。
(これは、どんな意味があるんだろう……?)
この意味を知るには、そう時間は掛からなかった。
第十話 月下の涙 昼見世の時間、菖蒲は張りから外を眺めていた。 そして、誰かが通れば笑顔を振りまくが苦戦をしている。 「はぁ……」 菖蒲はため息をついていた。 「菖蒲姐さん……」 張り部屋の外から梅乃が声を掛ける。 「なんだい? 今は昼見世の時間。 何の用だい?」 「はい。 コレを持ってきました」 梅乃は、張り部屋の戸を少し開けて紙を中に差し出す。 「んっ? 何これ……ぷっ」 菖蒲が紙を見て吹き出した。 その紙は、梅乃が書いた菖蒲の似顔絵であった。 「なんだい? もう少し、上手に描きなさいな……」 菖蒲は笑っていた。 「へへへ……姐さんの笑顔が見たくて描きました」 梅乃は戸の反対側でニコニコしていたが、菖蒲には見えていない。 「でも、姐さんが笑ってくれたので良かったです♪」 梅乃の存在は、菖蒲や勝来にとっても『小さな、お天道様』 のようであった。 「梅乃……」 さっきまで、ため息をついていた菖蒲とは別人のように笑顔になっていた。 「……」 采は黙って、それを見ていた。 そして翌日の昼見世の時間、「信濃、ちょっと来な」 采は、信濃を呼ぶ。 「はい。 どうしました?」 「お前に、二階の部屋を与える。 そこが、お前の仕事場だ」 采の言葉で、大部屋がザワザワとしている。 これは実質、信濃の昇格という意味が伝わった。 二階に部屋を与えられると言うことは、花魁または花魁に近い売上を上げている妓女の特権である。 三原屋には、玉芳以外に部屋を与えられていた妓女は居なかった。 売上の高い妓女が、夜の相手と酒宴の時だけ使う程度だったのである。 一般の妓女は、大部屋に仕切り板、現在のパーテーションを置いて営みを行っていた。 これが部屋を割り当てられるのは凄い出世である。 「付いてきな」 采は、信濃を二階に案内した。 「この部屋を使いな」 采が案内したのは、玉芳の使っていた部屋であった。 「この部屋……玉芳花魁の部屋じゃ……」 信濃は、ゴクリと唾を飲み込んだ。「そうさ。 今日から、お前がトップだ!」 采はニヤリとして信濃を見る。「私が花魁に……?」「それは、これからのお前次第だ。 客も、環境も全てが変わる……それでも、やれるか?」 采は覚悟を試していた。「やります。 やらせてください」 信濃の目が変わった。 「よし
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな所に居たのかい……」 玉芳は、台所に座っていた梅乃を見つけた。「すみません……なんか、急に寂しくなって……」 梅乃は、涙をポロポロと流しながら話していた。「また、会いに来るから」 玉芳はニコッとして、梅乃の頭を撫でた。「もうじき、大江様が到着されます」 男性従業員の言葉が聞こえ、一斉に支度に取り掛かるのであった。「梅乃、小夜、しっかり勉強をするのですよ」 玉芳は、母親のような口調だった。そこには、梅乃も、小夜も同じ気持ちでいた。妓女としてだけではなく、母親のような存在であった玉芳の引退に、幼い二人には厳しい現実であったのだ。そして、大江より先に花魁同士で しのぎを削《けず》ってきた仲間が祝福に訪れてきた。「玉芳花魁……おめでとう」 長岡屋の喜久乃と、鳳仙楼の鳳仙である。「なんだ~ 来てくれたの?」 玉芳は、この上ない笑顔だ。「当たり前じゃないか! 大見世の花魁同士だよ」 玉芳を始め、喜久乃や鳳仙と言った大見世の花魁が集結した三原屋は賑やかである。ただ、一般の妓女からすれば天上人である。 生きた菩薩の三人の空気に圧倒されるばかりであった。「紹介するわね。 喜久乃花魁と鳳仙花魁よ!」 玉芳は、二人を三原屋に紹介していた。「あれ? あの娘《こ》は?」 喜久乃がキョロキョロしながら言い出した。「あの娘?」 玉芳が首を傾げる。「ほら、禿の元気な娘よ。 梅乃だよ」 鳳仙が説明した。「あぁ、台所で泣いてるわよ」 玉芳は、苦笑いで答えた。「仕方ないか……本当に母親みたいだもんね」 鳳仙は勉強会などで、玉芳が率先していたことを知っているだけに梅乃の気持ちも解っ
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼の中での勉強は限られるからね」玉芳が二人を外に連れ出したのは、妓女としてだけでなく一般教養《いっぱん教養》も大事だと思っていた。「なんで、妓女だけの教養だけじゃダメなんだい?」鳳仙は不思議に思って、玉芳に聞いた。「そりゃ……もし、誰かに身請けされても一般の教養が無いのに吉原を出たら不便だしね。 できる限りの事はしてやりたいのさ」玉芳の言葉に鳳仙も小さく頷いた。「それなら、私もやるわ。 それだったら、禿たちの学校でも作ってあげたいね」一流の花魁は、物分かりが良すぎていた。 また、それが世間知らずで育った証拠でもある。それから日中の午後は玉芳と鳳仙の部屋、交互《こうご》で禿たちの勉強を行った。「私ですか? まぁ、それくらいなら……」そして、講師として妓楼で働く男性が招かれた。妓女であれば吉原から外には出られず、情報も少ない。 ここは、男性に習うのが一番だと玉芳は思っていた。まず、読み書きから始まった。捨て子である梅乃と小夜は一生懸命に勉強していた。また、鳳仙に付いている禿も頑張っていた。「ほら、絢《あや》。 アクビしない」鳳仙が注意している。鳳仙楼の禿は絢という。 絢は男の子みたいに髪が短く、快活《かいかつ》な女の子である。そして、親の借金返済の為に吉原に売られた禿でもある。そして勉強が始まって、数週間が過ぎた頃「しかしさ~ 面倒見が良いよな……ただ、本当に禿の将来を思ってだけ?」鳳仙は唐突《とうとつ》に聞いてきた。「そうよ……ただ、私には時間が無いから……」 玉芳の言葉に、鳳仙は合点《がてん》がいった。(確かに、玉芳は三十近くなる。
第七話 禿「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。「小夜~♪ お友達?」「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」こうして三人の禿は仲良くなっていった。時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切り出す。「あぁ、秀子さんね……」 この話しになった途端、静は表情が暗くなった。「いい人だったの?」 「うん。 私にとってお母さんみたいな人だったの……」「そっか……」 「お母さんか……どんななんだろう」 梅乃が小さい声で言った。「お母さんは?」 静が、静かに聞くと「知らない……私と小夜は、赤ちゃんの時に大門の前に捨てられていたんだって」 梅乃も声が小さくなっていた。「そっか……私は、家が貧しくて売りに出された」 静も、なかなかの人生であった。「みんなで良くなるように願掛けしようか?」 小夜の提案で、桜が散ってしまった木の下で手を繋いだ。“ニギ ニギ ” 「みんな良くな~れ♪」他の見世であるが、同じ禿同士で仲良くなった三人であった。「梅乃~ 小夜~」 玉芳の声がした。「はいっ」 「昼見世の時間、茶屋に行くよ! 用意して」玉芳が昼間から営業が入ったようで、付き添いを言われた。そして茶屋に入り、玉芳は茶屋の主人と話しをしている。梅乃と小夜は、少し離れた場所で待機をしていた。「梅乃ちゃん、小夜ちゃん……」 二人を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと「静ちゃん」 「えへへ。 今日はどうしたの?」 静の表情は明るかった。「今日は、花魁と一緒に来てるの」 「私も♪」どこの禿も、やることは一緒である。用事が住んだらしく、玉芳が振り向き「梅乃、小夜 行くよ」 と、言った時である近江屋の妓女、小春が茶屋に来ていた。「小春じゃない?」 玉芳が、声を掛けた。「あぁ……玉芳 花魁」 小春は頭を下げた。小春は玉芳より年上で、年季が明けてやり手婆になるらしい。
第六話 縁日「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。出店が並び、毎回賑わっていた。「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。 しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。 「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。 「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。 「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。 縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。 「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。 当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。 妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。「様子見……ですな」 妓女に体調の異変など、当たり前である。長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。そのほとんどが梅毒である。 「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。 文衛門は、玉芳の頭を撫でた。 三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。 “最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。 「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」 文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。 そして、三原屋には重い空気が流れた。 中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。 (玉芳花魁が梅毒と決まった訳じ
第五話 下世話なヤツラ「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。 それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。 「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。 梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。 「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。 「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、 「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。 (これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。 そして喧嘩の場所へ来た。 「お~♡ やってる~♡」 玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。 「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。 「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。 「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」 玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。 「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。 「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと 「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。 「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。「って……アンタ、誰?」 「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」「私は長岡屋の喜久乃……」「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」 「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。そして喧嘩の場所へ「待ちな!」 玉芳が参上した。「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。 「念の為だ、見世を聞こう……」 玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。 「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」 「ふむ……お前は?」 「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。 「ウチの松代(まつしろ)姐